根津 浩、永田賢司 Gugino Course・アソシエイト、BSC元会長
このたび、Zerobase Bioprogressive Philosophy(ZBP)の世界的指導者であり、BSC の名誉会長を務められるCarl F. Gugino先生が、2025年8月4日満96歳にて永眠されました、ここに深い悲しみとともに、謹んで皆様にお知らせ申し上げます。
Gugino先生は、Buffalo大歯学部(UB)を1953年卒後、5年間、海軍病院において障害児のチーム医療を経験し、同時に、お父様のA. Gugino先生(UBの解剖と補綴の教授)のオフィスで咬合を含む最先端の歯科医療を研鑽されました。その後、1958年母校の矯正学教室に進み、1961年MSを取得し、NY州Buffaloにて矯正専門医院を開業しました。しかし、当時のメカニクス偏重の矯正臨床に大きく失望し、将来を失いかけた時、R. Ricketts先生と出会い、その生物学的な考え方に共鳴して、ご自分の診療室が盛業であったにも関わらず、毎週BuffaloとLos Angels間を往復して、臨床の研修と世界初のセファロメトリクスのコンピュータ化などの共同研究を行いました。1963年、第一回のRickettsコースが招待受講者のみで開催された時、その場で先生とHito Suyehiro先生は出会い、やがて無二の親友となりました。また、Gugino先生の院内ラボを故P. Breads氏とともに立ち上げたのが、現在のGreat Lakes Dental Technologies社で、先生は、最後までBoad memberとして創業者としての責任を果たされました。
Suyehiro先生は、Gugino先生と同年齢で、Washington DC近郊の卓越した矯正医であり、JF Kennedy大統領のお子さんの治療を担当するほどでした。1970年、Suyehiro, Asahino, Herwick, Dikemanの4先生が東京歯科大学で行った本邦初のEdgewise typodont courseを皮切りに、1970年代の後半まで、約十年にわたる日本矯正歯科学会の各地区学会主催によるSimplified edgewise techniqueの講習会は、Suyehiro法として全国に定着し、我が国の矯正臨床の発達に大きな貢献をされました。70年の初回のコースに参加した時の根津は大学院2年次で、75年に二人でともに参加した時、根津は開業直後、永田は大学院3年次で、私たちの世代にとってSuyehiro先生は大恩人でした。
根津、永田は、1978年、有志とともにRickettsコースを受講し、根津は1979年と1980年の2回、Gugino先生、R. Bench先生、J. Hilgers先生によるApplied Mechanics I & IIを受講しました。以来、私たちの診療システムは全面的にZBPにもとづいて今日に至ります。初めてお会いしたGugino先生は、近寄り難い、精悍なオーラに溢れていました。長くお付き合いをするほどに、非常に思いやりのあるお人柄を知り、恩師でありながら同時に最良の友といえる関係になれたことは、私たちの人生の宝物といえます。
Gugino先生は、第一回Rickettsコースの翌1964年から欧米を中心に広範な講演活動を開始しました。1977年、78年にRicketts先生の来日講演会が盛況裡に行われ、その翌1979年にGugino先生が初来日され、グジノコースがスタートしました。両先生の難解な講義は、当時東北大学助教授(のちに主任教授、歯学部長、副総長)であった三谷英夫先生が、Ricketts先生とは、ともにIllinois大学のAG Brodie教授の門下生である関係から、解説を務められました。
1980年からは、日本の現状をよく理解しているSuyehiro先生がGugino Courseのインストラクターをお受けになり、三谷先生の推薦により根津が、82年からは、永田がインストラクターに加わりました。以来、Gugino Courseは、コロナパンデックによる中断の2018年までの40年間、毎年開催され、のべ4000名を超える受講生を迎えました。このことは、本邦における矯正臨床の発展に少なからず寄与したものと確信しています。
Gugino先生のZBPは,矯正臨床における多面的な情報を一定の論理的思考フロー(Zerobase line logic)に沿って集積、体系化して、推論するという帰納法の理論体系に基づいています。可変的要素を多く取り扱う矯正診断において、限定的な情報によるシンプルで一定的な分析法や公式に当てはめる演繹的な手法では、生体変異の多様性に対応できず、不適切な診断による難症例を生む原因となり得ます。とくに、不正咬合の背景にある機能不全に対する診断、治療ないしトレーニングは、矯正治療の成否にとって、メカニクス以上に重要な意味を持つ場合もあると考えられます。
Gugino先生の講演は、コースインストラクターの私たちにとって、常に新たな地平を開くものでした。先生は、矯正臨床の卓越性を達成するために、診断を含む全ての業務をシステム化すること、およびマネージメントの科学と技術を導入することが極めて重要であるとを強調されました。現在の日本は、未曾有の人口減少時代のパラダイムシフトにあり、従来の価値観や行動規範を新たにしなければ生存が困難になると予想されています。未来学者でもあるGugino先生。これからは“Concept age:概念の時代”になると仰いました。その真意をうかがっていませんでしたので。これから私たちなりの答えを探さなければなりません。
Gugino先生は、毎年のBSC Case Presentationにおいて、難症例であればあるほど、ZBPの診断、治療の難易度に応じた個別化が重要であり、ケープレを大変楽しみにされているとともに、日本のBSC会員の矯正治療のクオリティーに敬意と誇りを持っておられました。これからも、Gugino先生に心からの感謝と敬意を込めて、良質な矯正治療の結果を残せるよう努力いたします。
BSCは、1982年12月、日本青年館に六十数名の有志が自己研鑽と情報交換を目的に集まり、発足し、今日の隆盛を迎えることができました。その誕生直後にはSuyehiro先生が83年2月に急逝されるという不幸に見舞われ、BSCのみならず、日本の矯正全体にとって、Suyehiro先生を通じて持ち得たであろう国際交流の場を大きく失いましたが、Gugino先生のご指導と、ご激励をいただき、海外との交流も積極的に行っております。
Gugino先生の偉大なご功績と, 何よりもその温かなお人柄を胸に刻み, 私たちはこれからも研鑽を続けてまいります。 先生の理念を次の世代に引き継ぎ、BSCの活動を通して未来に伝えることこそが, 先生への最大の追悼であると信じます。